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新英語教育研究会神奈川支部HP

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ルター、学校へ行く(県立高校編その1~8)

●ルター、学校へ行く(県立高校編その1~8)です。
オススメは…
 ・その3)段落構成と時制について
では、2004年1月から3月までのルターの奮闘ぶりをお楽しみ下さい。

2004-1-17 ルター、学校へ行く(県立高校編その0):昨日は面接
 HP上で補講授業をのんびりしていたルター。
 しかしまた激動の日々が来週から始まる!
 とある県立高校に高1、高2を教えに行くことになってしまったのだ。
 病気の先生の代行授業なので、1ヶ月弱の短期である。
 (ルターは希望としては4月からは昨年同様高3担当でちょこっと授業したいと思っていますが、枠があるかな??)

 場所は家から1時間半。週5日で90分8コマ。
 イギリス人のALTとのティームティーチング(30分お任せ形式)もある。
 90分授業でチャイムが鳴りませんし、呼び出しもほとんどない(静かです)。
 女子9割。
 忙しすぎて報告できないかも知れないけれど、また書き記していきたい。
 お楽しみに。

2004-1-20 ルター、学校へ行く(県立高校編その1):昨日は初日
 雨の中、6時半に家を出て、学校に着いたのは雪の中で8時10分。早めに出て良かった。
 9時から1時間目。高2のみなさんにMy Favorite ThingsをCDで聞いてもらい、定番の冠詞の使い方を1時間で説明。いつものようにSomeを救出した。Some sugar / some soapと言える人が育つかなー?
 今日は高1に美術について語った。「若いうちに本物をみなさい」という予備校の日本史の先生の言葉を胸に、フランスとイタリアを旅行して美術館を一日3カ所廻ったりして、そこで私は何がわかったか。美術が分かったのではなく、「自分」がわかったのだ。自分が何が好きかがわかったのだった。それまでは絵画が好きなのかと思っていたのだが、彫刻が好きなのだとわかったのだ。ローマにあるベルニーニの作品、フィレンツェにあるドナテッロの作品がお気に入りになった。特にドナテッロのダビデは教科書に正面の写真しか載っていないが、実は横顔がハンサム。いつかみんなも見て欲しい。(手近なところでは井の頭公園の動物園の奥にある北村西望の彫塑館、または日暮里の朝倉彫塑館がお薦め。)
 こんな調子でやってます。


2004-1-24 ルター、学校へ行く(県立高校編その2):証明書を取りに大学へ
 今日は学校に提出する書類をとりに大学へ。ところが2時で事務室は閉まっていた! ショック。ホームページで調べておけば良かった。くじけそうになったが、きっといいことがあると信じて研究棟へ。ゼミでお世話になった西洋史のS先生がいらしたので2時間ぐらいお話できた! 人文科学の教育目標は「洗練された懐疑」を身につけさせること、という主旨のことを先生がおっしゃったのが印象深かった。このことばを伺うだけでも来た甲斐があったというものだ。
 日本史のY先生がおしゃべりにいらしていて大学での歴史を学ぶ学生のことが話題になった。「マックス・ウェーバー」と言っても全く知らず、以前の学生のように「読んでいなかった自分を恥ずかしく思ってあわてて読む」学生がほとんどいない。高等学校の教育と教養課程、専門課程のギャップがありすぎるというのだ。Y先生によれば、知識がないのに枠組みだけは組み立ててくる学生の論文が多く、呆れてしまうという。また、語学の力もどんどん落ちていて、大学院の試験も2カ国語を課さなくなる傾向にあるという。
 お話を伺っていて、明るい要素がなかった。ただ、私にとっては、こうして会いに行ける先生がいらっしゃるということだけでもうれしいことである。大学に進むみなさん! ぜひ素敵な先生方や先輩と出会ってください。一生の宝です。

2004-1-26 ルター、学校へ行く(県立高校編その3):段落構成と時制について
 一昨日の続き。大学の西洋史学のS先生によると、レポートを学生に出させたら、なんと1名、メールに書くような文体で「絵文字」つきで書いてきたという! どうなっているんだ? 先生は驚きと怒りのあまり、机に一日置いておいて、冷静になった翌日「ちゃんと書き言葉で書きましょう」という主旨のことを書いて返却されたという。まあ、ここまでは1人のことだから、と言えそうだが、卒論を書かせると、2~3行で改行が連続する論文を書く学生がかなりいるという。そんなに頻繁に改行してどうする?
 このような大学の状況を伺って、高2で『Orbit 2』のLesson 8の盲導犬の話を読んでいて、段落替えが気になったので、今日は「段落について」を板書解説した。
 「段落について」といっても、時制のお話。
 (1)現在時制:説明文「(今)~である」
 (2)過去時制:物語文「いつどこでだれがどうした」 過去形が中心

 段落構成 たとえば3段落にすると
   (1)現在時制
   (2)In 1986, ノ[いつかをはっきり述べる]+過去時制
   (1)現在時制 
 
 というかんじで、『Orbit 2』のLesson 8の盲導犬の話では、最後の段落替えがおかしい、と話した。
 現在時制での現在形と現在完了形の関連を話した。
 I love you. 「愛している」
 Iユve loved you since I first met you.「(ずっと)愛している」
 このように現在時制は今どうなっているかを説明するのに向いている。
「現在時制でこういうことを言われるとうれしいですね。でも、過去時制のI loved you.『愛していた』だけは相手から聞きたくないですねー」と話した。
 つらいなー、ほんと。

2004.2-12 ルター、学校へ行く(県立高校編その4):ロンドンからブラスバンドがやってきた
 午後の授業が終わって帰ろうとしていたら、Y先生がこれからブラスバンドの演奏があると教えてくださった。音楽留学の営業でトリニティカレッジの副学長とともに来日した学生5人が3曲演奏した。お返しに生徒4人がフルートを演奏。どちらもご立派。
 そこで、生徒との質疑応答があって、最後に、アメリカ留学していたという音楽の講師の先生が流暢な英語で専門的な質問をしていて恐れ入りました。
 「アメリカは移動音階が使われていて驚いた経験があるが、イギリスはどうでしょう?
  [「ソルフェージュ」という用語が出てきました。ドレミファを使うことだそうですね]
 (答え:日本同様、ドはド、レはレのように同じです)」とか
 「作曲の試験の場合、同位法(でいいのかな?)を用いた作曲を日本では求めますが、
 イギリスではどうでしょう?(答え:イギリスでは自由な作品でよい)」など解説を聞いて初めて分かった。
 フィギュアスケートで喩えると、規定演技と自由演技みたいなものかな? 
 試験で、日本では規定演技を求めるけれど、イギリスでは自由演技でいい、ということなのかと思います。
 
 やはり音楽が出来る人は耳が出来ているからうらやましい。

2004.2-14 ルター、学校へ行く(県立高校編その5):ALTのKatieさんとお話
 英語科の部屋ではお隣の席がKatieさん。日本語の勉強の本をネタにお話。
 バレンタインデーはイギリスではカップルは夕食をいっしょに食べるという。そしてプレゼントは花やチョコなど双方向的で、「カードを渡す」のが一大ポイントだということで、それは新情報だった。Katieさんはカードをくれなかった彼のことをかつて怒ってしまったそうだ。そのぐらいカードをあげることは大切なこと。なるほど。私も小学生の時にもらったカード、今でも取ってあるものね。
 女子校ではもらったカードやチョコの数を競うそうだ。そしてカードには名前を書かず「?」と書いて送る場合もあるそうで、日本で昔の「ふみ」に「ごぞんじより」と書いたのと似ているなーと思った。(深沢七郎の本を参照)

 そのあと、日本の政治や社会についての本が置いてあったので、見せてもらった。三島由紀夫のことやオウム真理教のことも書いてあった。
 日本とイギリスの相違点を話し合った。朝日新聞とGuardian紙が似ているとか、1960年代のヒッピーがいたころ教員をしていたというお母さんを持つKatieによると、その当時の女性の雰囲気と現在の日本の女性の雰囲気が似ているそうだ。理想主義的でリアリストではない感じ。「教員の人に多い、理想主義の人たちはある意味では害がないし、いいのだけれど…」というのがKatieの評価で、ジャーナリズムに関心がある人なので、なるほどそういう評価なのだな、と感心した。
 私は日中国交正常化でパンダが来たことや、台湾に対して態度が豹変したことなどを話した。
 イギリスと中東の関係が深いように、フランスと中国の関係が深いことを指摘して、そのあと、私の考えでは「最後に笑うのは食べ物がおいしい国だ」というのが自説なので、中国が勝つと話した。また大学のS先生が言っていた「イギリスは外交上でbalancerとして機能する」という話をして、イラクの問題ではアメリカが孤立しすぎないようにする点ではイギリスがアメリカにつくのは悪いことではないと話した。
 こういう話題ではあまりに語彙不足な自分が悲しかったなー。
 みなさん、まずは世界史や日本史の知識がないと恥ずかしいですよー。それから語学力ですよー。

2004.2-19 ルター、学校へ行く(県立高校編その6):卒業生を送る会
 今日は短縮授業で午後2時から卒業生を送る会があった。卒業記念DVD(2時間)を15分バージョンに編集した映像を体育館で上映。「5,4,3,2,1,0,-1,-2。おっと、行き過ぎた!」というビデオのスタートが洒落ていた。高1の体育祭や文化祭、高2の修学旅行の様子が映し出された。感心してしまったのは映像の安定感。この学校には映像芸術のクラスがあるのだ。ふつうの学校ではこうはいかないだろう。
 アンケートをまとめた形での「後輩から先輩へのメッセージ」と「先輩から後輩へのメッセージ」が読まれ、後輩からは別れを惜しむだけの内容だったが、先輩からは「考えたら即行動」「入学してから『やる人』と『やらない人』の差がはげしい。ちゃんとやりなさい!」というような檄文ばかり。3年になっているからこそ言える言葉だな、と感じた。
 横にいた先生は昔の映像を見て、なつかしんでいた。それを見ていたら、昨年4月から教えた高3のみんなのことがなつかしくなった。みんな、元気かな?

2004.3.12 ルター、学校へ行く(県立高校編その7):今日は最終日
 今日はテスト返却日、そして最終日だった。短いながら充実した一ヶ月半だった。
 そして昨年担当した高3の卒業式の日あった。HPを訪れてくれる高3のみなさん、ご卒業おめでとう。参加できなかったが、当日の様子はライティング担当のS先生から後日伺おうと思っている。4月からの新生活が楽しいものになるように願っています。

 今日のテスト返却にあたって、生徒に述べたことをHPで述べたいと思う。
 高2で以下の問いを出した。
「問3 下線部(3)は現在完了を用いて「She has been a true friend.」と本文はなっていますが、
She is a true friend.やShe was a true friend.とは、どういう違いがありますか、説明しなさい。」
その解答は「(今もずっと)本当の友人である」という意味。
     isだと現在だけを指し、「過去からずっとそうだ」という意味にならない。
     wasだと過去のみを指し、「今もそうである」という意味にならない。」である。
ところが、「とくにちがいはない」と書いた生徒がいて、私はこういう解答だけは許せないと感じた。「形が違えば意味が違う」というのが言葉の基本である。昔は「違いの分かる男のゴールドブレンド」というコピーがあったくらいではないか(今は「違いを楽しむ人」になってますが)。なんでもいっしょなら、なんのために勉強しているかわからないではないか。表現を学ぶというのは差異を楽しむことではないのかなあ。歴史教科書の記述がどれもこれも「特に違いはない」なら家永教科書裁判も起きなかっただろうし、現在の某教科書に対する批判だって起こりえない。学問を無にするような発言だけは、見逃してはいけないとルターは強く心に感じた。

 また「has beenには、これからも~であるという意味がある」とか、「感情的に深い意味がある」という解答が5,6人ずついた。どうして「これから~である」という意味になるのか?? 「今までずっと~である」というのが現在完了の守備範囲である。そして、現在完了に深い意味などない! 現在完了が「深い」なら、現在形や過去形が浅くて「軽薄」みたいではないか!
 「書いてある以上のことを勝手に読み込まない」というのが文学でも歴史学でも基本的な姿勢だと私は思っている。試験を通じて、このような発見があり、私自身、勉強になった。



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